深夜日記

半生ブログ

梅雨明け前の夏

最近、人間不信に磨きがかかっている。

心理学の本を読むと私は、何かを得たようで何かを失ってしまうように思う。

自分でもよくわからないが、私は「間」が嫌いだ。集団で発言したり、やり取りをするときに起こる「アレ」だ。

空気を読みすぎるということは、自分を見失いながら必死に周りを見て、結局空気みたいに留まることだと思う。

最近は、文章を分析しながら本を読むことが多い。良くない癖である。

「ここはこういう言い方をしてもいいんだ」「こういう言い方はわかりやすい」

分析するのは良いが、内容が入ってこない。私は何を学んでいるのだろう。

 

雨の降る昼間、音でバレないうちに人類皆絶叫すればいいのにとか思う。

湿ったアスファルトの匂い。引き裂かれたカエルの死体。

窓の外を眺めると、雨水とともに降ってくる絶望。

そんな絶望に降られて過ごす休日の、なんともいえない昼のこと。

そしてアオイは一人になった

アオイちゃん、アオイちゃん。

あなたは何ができるの?誰にも絶対に負けないものってなに?

自分は胸張って頑張ってますって言える?

毎日毎日えらい行いだけをしてる?

 

って責められてる気がして怖い、ずっと

私は私にしかわからない気持ちとかそういうのがあると思ったのに、案外しょうもないものだったっていつからか気がついてしまうことがあった。

すぐなあなあにするところとか。自分が悲しくなるってわかってて、なおさら自分を傷つける。私は自分が大嫌い。そんな自分が好きでしょうがない。

 

毎日誰ともわかり会えない環境を作ってるのは間違いなく私自身。何も言わないし、わからないと何度も言われる。

言わないんじゃなくて 言えないんだけどな。

わがままでごめんなさい

私より

ノルウェイの森を借りた。

本を読むということは、孤独だということである

みたいな名言あったけど、自ら読書に走る私は別に孤独感を味わうためにしているわけではないのにな、と思う。

聞かなきゃいけない授業、大切な話、全部私が決めて行動するばすなのに、

わからない が1番怖い。

わからない が1番なにもできない。

 

自分をもっともっとわかるようになりたい。

自意識

私は結局のところ、一人で行動するのが好きなのかわからないとよく思う。

今日もカフェで苦くないコーヒーを飲んで、謎の韓国語で歌うアイドルの曲を聴いて。

楽しくないわけでもないけど、よくわからないなあと思う。

でもみんなといたいとも思うし。ますます距離感を掴めないまま大人になるのかな。肩凝った